黒ハート

2008年09月06日

新聞セールスという仕事

「毎度おなじみのちり紙交換でござい・・・。。」
今から25年くらい前は当時はやり始めたのか、よく聞いた近所の音の一つであったが、そいえば最近はめったに聞かなくなった。

 先日、新聞のセールスマンがやってきて、新聞をセールスして帰った。

 今時、インターネットの時代。 紙新聞なら、もうほとんど用はない。

 そう言って断ると、「そうなんだ」という。そうみんなそう言ってほとんど新聞を取ってくれないのだという。

 それじゃあ、なんで新聞セールスなどしているのか?と尋ねると、これしかできないからだといった。

 続いて、分厚いカタログを見せて、カタログ2冊!何でもある!ここから何でも1つ2つ選べる!という。

 なんじゃ?新聞セールスではないの??

 カタログ販売かい??

 いや違うらしい。

 どうも、新聞を取ってくれたら、カタログから商品を選んで好きな商品をプレゼントするというのである。

 よく判らないが、今時欲しいものはない。

 ましてや不要な新聞を取り、新聞代を支払ってまでして、モノをもらおうなんて考えてもいない。

 新聞をとっている人なら、再契約するときに、モノをくれる人から、再契約をしてもよいと思うようになるのかもしれないが、そういう契約をして、気持ち悪くならないのか? モノを要求して新聞を取ろうとする人にも変な感じに思えたりする。

 保険のセールスなら、一度契約を取ってしまえば、解約しない限りその後ずっと収入となるマージンは続くのだろうが、新聞セールスにはそういうのはないのではなかろうか?

しかも、独立起業というのではなく、雇用風に見せかけられて、古コミッションもどきで使われている人が多いように思ったが。

 毎日が新しい新規顧客の契約を取る。しんどい仕事であろうと思える。しかしその仕事と真正面から向き合い、物怖じすることもなく、淡々とこなしていく。これはこれで長期にわたってこれをこなしてきたとなると、それは一つの技術でもあるように思える。心の取り扱いの技術

カタログ販売しているものなんて欲しいものはないし、新聞は届いた時から古新聞になっているので要らないととにかく断る。

 他に新聞取るメリットってあるのだろうか? そういう説明は一切ない。新聞のセールスは、ただモノをあげるということしか言わないのだろうか?不思議である。今まで来たどの人もそういうセールスをした人はみたことがない。モノを上げるという。

それって、新聞代約11000円とすると、11000円払って、5000円程度のものを購入する契約をしているのと同じになる。

しかもゴミ処理までしなければならないとは、どういうことだろう??

 広告がやたら多く入っており、しかもあまり役に立ちそうもない広告でもう届いた時からすべてゴミと言っても間違いではなさそうな今のチラシ広告である。

 そんな今時の新聞をまだ取っておる人がいるのか?というのは言い過ぎかもしれないが、そう言われたら、紙新聞を取ることの知られざるメリットなどを、明るくユニークに解説でもしてくれようものなら、もう一度取ってみようとも思えるが、11000円払って、5000円程度のものを買うのと同じでも違わない契約など誰がしたいと思うのだろう。それはまさに5000円のものを11000円で買わされるのと同じなのである。

なぜなら、届く新聞に、届いた時点から古い情報ばかりだと即古新聞! →遅れ情報 →価値がない 古新聞の処理という仕事だけが残されるという構図である。


 留守番をしている家庭の留守番の人には、ただでものをもらえるとでも思ってしまうのか? 結構それで契約してくれる人がいるらしい。
ただじゃあないよ、集金日には新聞代を取りに来る集金があるぞ!
要らない新聞なら高い買い物をすることになる。

 しかし、今時も昔も新聞セールスの方法は変わっていないのか?

 なぜ新聞が必要なのか? そこが判らなければ、今時の新聞とは、広告主スポンサーに広告掲載をする場所を提供したり、折り込みチラシ広告を入れたりすることの機会を提供するだけで、他人さまの儲け話に、単純に利用されているだけで、しかも同じものを倍で売りつけられるような行為?にも思えるモノでつる。

 新聞社に勤める知人がいたので、その人が左遷された時、応援する意味でそこの新聞をしばらく取ったことがあったが、契約切れ後はやはりもう要らないので断った。

 紙新聞は、届いた時から古新聞にしかならないのだろうか?

 もっと他の利用方法はないのだろうか?

 そう思いながら、ふと、思い出したのは10年前のことだ。
 新聞セールスにきた20代後半くらいの人。
 引っ越してきたばかりだったので、新聞はいらないと断ったが、何か一生懸命考えながらセールスをしていたので、思わず聞いてしまったことがあった。

 すると折り込み広告に付加価値をつけてモノを言い始めた。

 モノは一切いらないと断った人間に、今後どんな情報が入ってくるか判らない折り込み広告チラシに付加価値をつけたのだ!

 配達される新聞には、折り込み広告が入るといい始めた。

 駅前にも新聞スタンドがあってそこでも新聞は買えるが、販売店と契約すると、毎日折り込み広告が入る。その折り込み広告を見ることによりこの地域の様子が判るというのであった。

 引っ越してきてすぐだったので、なんだかなるほどと思ってしまった。さらにこの地域のこまやかな情報をくれた。
 結果的に何かと交換したようなものだが、交換の条件はモノではなかったということである。

 モノは要らない。

 あふれかえっている。そんなものはいらない。

 それでも新聞セールスで生計を立てている人が結構まだいるらしい。

 彼らはセールスプロ群団となってかかってくる。

 同元締めみたいな人間がいるようだ。

 新聞セールスの求人広告などを見るとよく判る。

 果たして新聞セールスという仕事は、いつまでも仕事になるものなのか? 

 終わったと思えば、終わってしまうものであろうし、新しい新聞利用法を発見すれば、その方法で新規顧客を得ることもできよう。

 インターネットの時代で、情報だけなら、ネットの方が早いのだ!
 そんなわけで新聞を情報だけしか見ていなかった層は、ネット接続料とほぼ同じ料金だった新聞代を削除した。

 ネットが不要な時代が来るだろうか?

 それとも紙新聞が必要となる利用アイデアはないのだろうか?

 もしそういうアイデアを発見できれば、新聞セールスは今がチャンスだ! 

 新聞の契約をしていない世帯が、今、ごそっとある。

 やはり紙新聞必要と言うことが判れば、新規顧客は取り放題である!

 

 
 

posted by 七色花面 at 21:00| 人間とは何か?★人間の探求 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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